時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

中世ヨーロッパでは”ユダヤ教”とイスラム教とが近い関係は常識

  本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。我が国では、変質した”ユダヤ教”とイスラム教とが近い関係にあることはほとんど知られておらず、むしろ対立関係にあると考えられがちなのですが、実はそうではないことは、以下の点においても窺うことができます。
 
13世紀、モンゴル側の外交全権代表となっていた謎の英国人、ロバートMaster Robertは、ガブリエル・ローナイ氏の『The Tartar Khan’s Englishman』によりますと、カトリックへ改宗した‘ユダヤ人’である可能性が極めて高いことを3月18日付本ブログにて指摘いたしました。商業都市・ロンドンの下級聖職者であったという点からは、商業活動に従事していた‘ユダヤ教徒’であったのでしょう。
 
マスター・ロバートは、キリスト教国側によって戦争犯罪人として裁かれることとなる凡そ28年も前、1213年にジョン失地王が、イスラム教への改宗を試みた際に、モロッコの王に派遣された英国外交使節団の3名の団員のうちの一人として選ばれております。ロンドンのカトリックの下級聖職者であるにもかかわらず、イスラム国への交渉役として選ばれた理由として、ジョン失地王が、もと‘ユダヤ教徒’であるというロバートの経歴が、イスラム国の好感を得るのに好都合であると考えたからであると推測することができます。すなわち、「偽ユダヤ教」は、イスラム教と近い関係にあるという認識が、当時の社会にあった可能性があるのです。
 
The Tartar Khan’s Englishman』によりますと、現に、モロッコ王は、3名の団員のうちロバートのみを気に入って厚遇し、他の2人は退席させられております。さらに、帰国の際には、ロバートのみに、過大な下賜品を授けております。ジョン失地王のイスラム教への改宗は成功しませんでしたが、この事件は、偽ユダヤ教イスラム教との秘かなる繋がりを示していると言えるかもしれません。十字軍の末期、1290年における英国における‘ユダヤ人追放’にも影響があったとも考えられます。現在でも、‘ユダヤ人’に関連する様々な問題を考える場合、偽ユダヤ教が歴史的にイスラムと近い関係にあったことは、考慮しなければならない重要な点であるかもしれないのです。
 
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(続く)