時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

清貧主義に隠されている「裏イエズス会」の悪巧み

本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。フランシスコ・カブラルの布教方針の清貧主義も、「裏イエズス会」の目的からしますと、文字通りの美徳として受け取ることができなくなります。

5月29日付本ブログにて述べましたように、ヴァリニャーノ、オルガンティーノ、トーレスは、日本においては身なりや服装がきちんとしていない人物は軽蔑されることから、宣教師たちにあえて良い服を着ることを奨励しました。
 
文明や文化のレベルは、服飾文化にも表れるものです。ヴァリニャーノ、オルガンティーノ、トーレスは、日本人が、文明人であってヨーロッパに近い社会を築いていると認識しており、文明国同士が、キリスト教世界をともに築いてゆくことを目的に、布教活動を行ったと推測することができます。このことは、ヴァリニャーノが天正遣欧少年使節派遣を計画・実施し、少年たちの立ち振る舞いの優雅さや教養の高さから、ヨーロッパ人から文明人として絶賛されたことにも示されるでしょう。
 
一方、カブラルは、「日本においてイエズス会員が絹の着物を着ているのは清貧の精神に反している」と非難し、粗末な服を着るよう奨励しました。イエズス会士が粗末な服を着たことから、日本人信徒たちも、粗末な服を着るようになったことでしょう。こうしたカブラルの清貧主義には、日本・日本人を非文明人となそうという「裏イエズス会」の真の目的が、隠されていると推測することができます。清貧主義は、一般的には、過剰な華美や奢侈を戒めることにおいて評価されている主義ですが、この考えは悪用されますと、人類の動物化に繋がります。
 
カブラルによって廃仏毀釈や清貧主義を進められてしまっていましたら、キリスト教の拡大とともに日本国・日本人は、築いてきた文明・文化を失ってしまい、野蛮国となってしまうところであったのです。「裏イエズス会」の怖さは、表立って非文明礼賛主義を唱えるのではなく、詐欺的手法において、これを進めてゆくところにあるのでしょう。


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(続く)