時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

窃盗に甘いフランシスコ会の思想の脅威

今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。世界支配志向勢力の思想回路を知るためには、ザビエルの思想の土台ともなった聖フランチェスコの思想を分析することは重要な課題ですので、今日も、アッシジの聖フランチェスコについて扱います。
 
フランチェスコは、父の不在中に商品を勝手に持ち出して近隣の町で売り払い、その代金をサン・ダミアノの下級司祭に差し出します。こうした行為は窃盗に値しますので、帰宅してそれを知った父親は怒って、ついにフランチェスコを告訴し、アッシジ司教の前で父子は対決することになります。フランチェスコは服を脱いで裸となり、「全てをお返しします」として衣服を父に差し出し、フランチェスコにとっての父は「天の父」だけとして親子の縁を切ったそうです。
 
聖人の美談として語られることの多いこの逸話は、果たして本当に美談なのでしょうか。それは、どのような目的があろうとも、他者の所有物を取ることは窃盗という犯罪にあたるということです。殺人も同様なのですが、フランチェスコの考えは、自己中心的に、‘神様の意に適っている’と解釈した目的に対しては、手段を選ばないことを肯定しており、こうしたフランチェスコの考え、社会秩序を崩壊させる結果に繋がることにフランチェスコはまったく思い至っていないのです。窃盗擁護のフランチェスコの考えが、フランシスコ会の「無所有」主義につながり、共産主義思想の原点ともなったのではないか、と推測することもできます。
 
『聖書The Bible』が「旧約聖書The Old Testament」と「新約聖書The New Testament」によって成り立っておりますように、本来、キリスト教も、ユダヤ教と同様に『旧約聖書』に収まる「モーゼの十戒the Ten Commandments」を守るべき社会倫理・道徳としている宗教です。すなわち、キリスト教は、「汝盗むなかれ」なのですが、フランチェスコは、「モーゼの十戒」を無視する、否、積極的に否定するという誤解釈をキリスト教に齎したことになるでしょう。
 
このフランチェスコによる「モーゼの十戒」否定の思想こそが、改宗ユダヤ人であるマラーノのなかでも、特に、「モーゼの十戒the Ten Commandments」に忠実であった善良なるマラーノに対するポルトガルやスペイン、そして、カトリックイエズス会の異端審問による迫害を引き起こすことになったのではないでしょうか。
 
マラーノ対策としてポルトガルによって雇われたイエズス会士ザビエルは、清貧主義を唱えながら、その影で、世俗のポルトガル商人たちと密接に結びついておりました。その背景には、フランシスコ会による誤解釈問題が潜んでおり、フランチェスコの思想こそが、大航海時代におけるポルトガルやスペインの数限りない残虐な強盗殺人、掠奪を肯定する思想となったのではないか、と考えることができるのです。

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(続く)