イスラエルの歴代首相はすべて「白いユダヤ人」
今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。ケネディ大統領暗殺事件に、‘ユダヤ人’内部の対立問題、すなわち、白いユダヤ人と黒いユダヤ人の対立問題が絡んでいることについて検証を加えるにあたり、イスラエルという国家が、「白いユダヤ人」と「黒いユダヤ人」のどちらの影響の強い国家であるのかを、確認しておくことは、有益であるかもしれません。
イスラエルの第一代首相と第三代首相を務めたダヴィド・ベン=グリオンDavid Ben-Gurion氏(1886年10月16日 - 1973年12月1日)は、ポーランドのプロニスク生まれですので、アシュケナージ系の「白いユダヤ人」であったと考えることができます。
第二代首相のモシェ・シャレット Moshe(h) Sharett氏(1894年10月15日 - 1965年7月7日)も、当時ロシア帝国の一部だったウクライナのヘルソンで生まれておりますので、シャレット氏も同様にアシュケナージ系です。
第四代首相レヴィ・エシュコルLevi Eshkol氏(1895年10月25日 - 1969年2月26日)は、ウクライナ(当時はロシア帝国領)のキエフ県で生まれておりますので、アシュケナージ系の「白いユダヤ人」と推測されます。
第五代首相のゴルダ・メイアGoldah Me'ir, Golda Meir氏(1898年5月3日 - 1978年12月8日)も、ロシアのキエフ(現在はウクライナ領)生まれですので、アシュケナージ系なのでしょう。
第六代と第十一代首相を務めたイツアーク・ラビンYitzhak Rabin氏 (1922年3月1日― 1995年11月4日)は、アシュケナージ系ユダヤ人が多く居住する ウクライナからエルサレムに移住したユダヤ人家庭に生まれています。
第七代首相のメナヘム・ベギンMenachem Begin氏(1913年8月16日 - 1992年3月9日)も、ロシア領(現ベラルーシ領)ブレスト・リトフスクに生まれですので、アシュケナージ系の白いユダヤ人と考えられます。
第八代と第十代の首相を務めたイツハク・シャミルYitzhak Shamir氏(1915年10月15日 - 2012年6月30日)は、ロシア帝国ルジャナ(Różana、その後ポーランド領、ソビエト連邦領を経て、現在はベラルーシ領)で生まれ、1935年にパレスチナに移り住んでおります。この経歴からすれば、氏もまた、アシュケナージ系の「白いユダヤ人」との系統に属するのでしょう。
第九代と第十二代首相を務めたシモン・ペレスShimon Peres, (1923年8月2日-2016年9月28日)は、ポーランドのヴィシェニェフ(現在ベラルーシの一部)の中で生まれておりますので、アシュケナージ系の白いユダヤ人と推測されます。
第十三代首相であって現首相であるベンヤミン・ネタニヤフBenjamin Netanyahu(1949年)は、ベン=シオン・ネタニヤフとジラ・ネタニヤフ夫妻の次男としてイスラエルで生まれており、父親のベン=シオンはロシア姓をミリコウスキー(Milikowsky)といい、1910年に、旧ロシア帝国ポーランド領ワルシャワで生まれております。このことから、おそらくネタニヤフ氏もアシュケナージ系です。
第十四代首相のエフード・バラックEhud Barak氏(1942年2月12日 - )の両親は、帝政ロシア時代のリトアニア出身です。バルト三国にはユダヤ人が多く居住していた歴史があり、同氏も、アシュケナージ系なのでしょう。
第十五代首相のアリエル・シャロンAriel Sharon(928年2月26日 - 2014年1月11日)は、イギリスのパレスチナ委任統治時代の1928年、パレスチナのキブツ(集団農場)であるクファル・マラル村にウクライナ系移民の長男として生まれております。
そして、第十六代首相のエフード・オルメルトEhud Olmert(1945年9月30日 - )の両親は、ウクライナとロシアからイスラエルに移住しておりますので、アシュケナージ系の「白いユダヤ人」と考えられます。
このように歴代のイスラエル首相の出自を調べてみますと、ポーランド、ウクライナ、ロシア、ベラルーシ、リトアニアといったように、全員がアシュケナージ系「白いユダヤ人」が多数を占めていた居住地域の出身者であることがわかります。この点から、イスラエルという国家は、「白いユダヤ人」の影響の強い国家であると推測することができます。
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(続く)