時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

イエズス会はテンプル騎士団を乗っ取ったのか?

 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。イルミナティーが国際組織である理由は、既に世界展開していたフリーメイソンを乗っ取ったことによるのですが、イエズス会が、テンプル騎士団を乗っ取っていた可能性も考えねばならないかもしれません。
 
Wikipedia(日本語・英語版)によりますと、テンプル騎士団は、1119年に、フランス人騎士のヒューゴ・ド・ペイヤン the French knight Hugues de Payens が、ヨーロッパ各地からエルサレムにやってくる十字軍の護衛をボードワンⅡ世に申し出たことに始まります。
 
しかし、その活動は、軍事面のみではなかったようです。Wikipedia日本語版によりますと、「軍事組織としての表の顔に加えて持っていたテンプル騎士団のもう一つの顔が、財務機関としてのものであった。もともと入会者たちは、この世の栄華を捨てる証として個人の私有財産を会に寄贈して共有しており、この慣習はほかの修道会でも行われていた。会の活動目的が聖地守護と軍事活動であっても実際に前線で戦うのは会員の数%にすぎなかった。ほとんどの会員は軍事活動そのものより、それを支援するための兵站および経済的基盤の構築にあたった。巡礼者に対しては、現金を持ったまま巡礼の道を移動する事により起るリスクを防ぐため、自己宛為替手形lettre de change)の発行等の銀行機関のようなサービスも行った。また現在で言う預金通帳のような書類(bon de dépôt)もテンプル騎士団のイノヴェーションだと言われている」そうです。
 
テンプル騎士団は、1314年に解散されますが、イベリア半島では「キリスト騎士団」などとして存続し、15世紀のエンリケ航海王子Infante Dom Henrique139434 - 14601113日)とその後継者の時代、すなわち、バスコ・ダ・ガマによって1488年にインド航路が発見された大航海時代の幕開けの時期には、喜望峰を越えてテンプル騎士団西アジア、インド、東南アジアへ進出していたのです。
 
本年2月2日に放映されたヒストリーチャンネルの『テンプル騎士団と海賊の財宝』によりますと、調査チームは、マダガスカル島近海の16世紀初頭の沈没船から、フリーメイソンテンプル騎士団のエンブレムの入った遺物を発見しており、このことも、テンプル騎士団の活動を裏付けていると言うことができます。したがいまして、インド航路を行き来する船乗りたちに自己宛為替手形lettre de change)を発行するなどの銀行機関のようなサービスも行い、世界組織的性格を持つようになっていたのではないか、と推測することができます。
 
一方、イグナチオ・デ・ロヨラフランシスコ・ザビエルらによってイエズス会が創設されたのは、1534年のことで、フランシスコ・ザビエルが、インドに向けてリスボンから出発したのは、1541年ですので、テンプル騎士団は、イエズス会よりも先に世界展開しているのです。
 
しかし、その後、何ゆえにか、テンプル騎士団の活動は影を潜め、世界展開の主流は、イエズス会へと移行します。このことから、イエズス会テンプル騎士団を乗っ取るか駆逐し、同騎士団に替って世界規模の財務機関を持つようになったのではないか、と推測することができるのです。そして、これに目を付けたのがロスチャイルド家であり、ロスチャイルド家が、イルミナティーの創設を実質的にイエズス会に依頼した理由は、アジア地域を網羅する銀行組織の構築にあったと考えることもできます。
 
よろしければ、クリックをお願いいたします。
 

(続く)