時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

エリザベスⅡ世の背景にもイルミナティー?

 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。英王室と英国国教会の黒人化問題を昨日扱いましたが、英国史に鑑みますと、このような問題が発生する下地は、実は、イルミナティーの前身とも言える「黒いユダヤ人」の国際組織によって、遅くとも16世紀にはつくられていたと言うことができます。
 
1543年に「首長令Act of Supremacy」を発布してローマ・カトリックから離脱し、英国国教会を創設したチューダー朝のヘンリーⅧ世(在位:1509~47年)は、エリザベスⅠ世(在位:1558~1603年)の父王でもあります。エリザベスⅠ世の母親は、アン・ブーリンAnn Boleynですが、昨年の6月22日付本ブログで扱いましたように、ブーリン家は「黒いユダヤ人」の国際組織に属していたと推測することができます。
 
すなわち、1)ブーリン家は出自が不明である点、2)ブーリン家はロンドン商人であった点、3)アン・ブーリンの容姿について記した当時の証言記録から、アン・ブーリンの肌の色はダークであった点、4)ブーリンの父のトーマス・ブーリンが複数の言語に堪能な外交官(通訳)であったことは、「黒いユダヤ人」であって、モンゴル帝国に仕えたロンドンの下級聖職者、マスター・ロバートMaster Robertと共通しています。アン・ブーリンもまた「黒いユダヤ人」であった可能性が高いのです。エリザベスⅠ世の膚の色もダークであり、白粉を厚く塗って隠していたそうです(肖像画から、その髪も縮毛であったと考えられる)。
 
1559年に信教統一令と国王至上法を発付して、チューダー朝英王室と英国国教会を制度的にも強く結びつけたのがエリザベスⅠ世ですので、英国国教会は、「黒いユダヤ人」の影響下において成立したと推測することができるのです。長い英国史において、チューダー朝における「黒いユダヤ人」問題は、表面的には忘れ去られていたかもしれませんが、そのエリザベスⅠ世に因んで即位したのが、エリザベスⅡ世(在位:1952~)なのです。おそらく、エリザベスⅡ世の即位の背後には、「黒いユダヤ人」の国際組織であるイルミナティーがあったはずであり、王室や英国国教会をめぐって黒人寄りの姿勢が再び見えるようになってきたと言うことができるのです。
 

父親がオランダ在住の‘ユダヤ人(おそらくは「黒いユダヤ人」)、母親がアフリカ系黒人種のマークル氏とヘンリー王子との結婚を強力にサポートしたのが、エリザベスⅡ世であることには、このような歴史的な背景があったと推測することができるでしょう。


 

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(続く)