時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

日本にも忍び寄るイルミナティーの薬物中毒蔓延政策

  今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。カナダにおける娯楽用薬物の解禁問題をめぐり、読者の方から、日本の安倍首相の昭恵夫人が、神道において麻薬が用いられていたことがあったという理由から、麻薬解禁賛成の運動を行っているとのご指摘をいただきました。
 
昭恵夫人が、神道における麻薬の使用をその理由として挙げている点は、神事に置いて麻薬が用いられたり、神社のお守りに麻薬を入れる場合がったことによるようです。日本古来の伝統宗教でも用いられたのであるから、麻薬を解禁してもよいのではないか、ということなのでしょう。
 
しかしながら、このような論法は、通用するのでしょうか。おそらく、日本国の伝統宗教である神道において、古代に麻薬が使用された目的は、神官などが神様の憑代として恍惚状態に至るためであったと推測されます。また、お守りに入れたことは、参拝者が鎮痛剤などとして用いることを想定していたのかもしれません。しかしながら、麻薬の使用をめぐりましては、現在の医学的知識から、中毒性が高く、廃人に至るというその著しい害悪性がはっきりしております。このような神社による麻薬の使用は、このような医学的知識がなかった時代において、すなわち、‘無知’であるがゆえに行われてきたことなのです。現在、医学的知見から、刑法によって麻薬の所持・使用は禁じられており、いずれの神社も既に麻薬を用いておりませんように、害悪が判明した以上、その所持と使用は、やはり極めて問題であると考えざるを得ないのです。
 
過去において、野蛮な風習を行っていたのが伝統宗教であるからと言いまして、その伝統宗教を尊重するがゆえに野蛮な風習を復活させようという試みは、詭弁に過ぎません。例えば、古来、日本には、殉葬という風習がありました。天皇などが崩御された際には、その従者もともに自死し、陵墓の周り埋められるという慣習があったのです。こうした慣習を野蛮で残忍であると考えた垂仁天皇は、人のかわりに埴輪をつくらせて、かわりに埴輪を埋めさせております。たとえ伝統的な風習でも、その害悪が認識された場合、改めるのは当然のことなのです。日本でも、神社は、その害悪を踏まえて麻薬を使用することを止めたのですから、このまま使用禁止でよいはずなのです。
 
にもかかわらず、昭恵夫人が詭弁を弄して、麻薬解禁に動いてることは、残念なことです。安倍首相の出身地は、フランシスコ・ザビエルの滞在した山口であることを踏まえますと、その背景には、やはりイルミナティーによる麻薬中毒蔓延政策があり、我が国にもイルミナティーの麻薬中毒蔓延政策が忍び寄っていることを示唆しているかもしれません。

 
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(続く)