時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

閣僚ポストと政治家―卵が先か、鶏が先か―

 本日、阿倍政権の改造内閣の顔ぶれが決定されたようです。そこで、今日のブログでは、閣僚ポストと政治家との関係を、あらためて考えてみることにします。

 近年に至るまで、組閣を行うに際しての選任基準が、必ずしも実力主義ではなかったことは、よく知られている事実です。選任に当たっては、各閣僚の議員としての当選回数や所属派閥、あるいは年齢などが重んじられ、本人の能力や適性は二の次でした。この”持ち回り”方式、あるいは、”ポスト配分方式”ですと、当然に、適材適所にはならず、閣僚ポストと政治家との関係は、政治家が”先”で閣僚ポストが”後”となりました。

 しかしながら、よくよく考えてみますと、国家の役割は大変重要ですので、本来は、閣僚ポストが先に来なければならないことになります。それぞれの閣僚ポストには、それらが担う政策領域に適した人材や能力を要します。かりに、これらが欠けていますと、国家と国民が、直接に不利益を被ることになってしまうのです。ですから、本来の適切な位置関係は、閣僚ポストが先で、政治家が後ということになりましょう。

 かつては、政治家さんは、何もしなくても国家は平穏に運営される信じられていた時代もありました。一方現在という時代は、政策が大きく国家の行くへを左右します。今回の内閣改造が、閣僚本人の能力や適性に即した適材適所であることを、切に願うのです。