時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

マニフェストが”不当契約化”する恐怖

 政策本位の選挙を、ということで、近年、選挙のたびに、各政党がマニフェストを掲げるようになりました。ところで、もしマニフェストの掲載が、その後の立法化に根拠を与えるとしますと、国民にとりまして、マニフェストは”不当契約”を意味することになりかねないと思うのです。

 マニフェストには、多くの政策領域がありますので、政策領域ごとに個別に政策を拒否できないという最大の欠陥があります。このことは、一部に国民の支持を集める政策があったとしても、その他の領域で、それ以上の負担や不利益の発生が予測される政策が掲載されていたり、財源が不明瞭である場合には、国民は、この負担をも甘受しなければならないことを意味しています。例えば、子供手当や高速道路の無償化といった”ばらまき政策”に惹かれて多くの国民が投票しますと、結果として、これらの政策の実施に伴って発生する負担をも暗黙に引き受けることになるのです。一般の契約では、こうしたケースは、法律が保護しているために取り消すことができますが、マニフェストの場合には、”取り消し”はそう簡単ではありません。一旦権力を握りますと、マニフェストに記載していない政策をも実施するかもしれないのです。

 マニフェストを掲げるという手法は、政策本位で政権を選ぶという意味において意義があります。しかしながら、国民には、個別の政策に対する拒否権がないというこの制度の欠点を考慮しますと、政権発足後も、国民の意見が政治に反映される仕組みが必要と言うことになります。そうして、将来的には、国民が、個別の政策を拒否したり、選んだりすることができる政治システムの構築が望まれるのではないかと思うのです。

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