行きすぎた原発反対論―電気なき生活の行く先は
先日、大規模な原発反対のデモが、全国各地で行われたそうです。中には、代替エネルギーへの転換の主張を越えて、電気なき生活を奨励する人々も見受けられるようです。
それでは、電気のない生活とは、どのようなものなのでしょうか。電力不足に対応するために、各家庭では、日夜、節電を心がけております。大地震から一カ月以上が経過して振り返ってみると、多少不便ではあっても、生活そのものは維持できますので、このままで大丈夫、と自信を深めた方もおられることでしょう。しかしながら、社会全体を見渡しますと、電気がなき社会は、決して理想ではありません。電力供給が途絶えますと、生産に電力を消費する製造業は立ち行かなくなります。このことは、大量の失業者が発生することを意味しています。それのみならず、都市空間そのものにも影響を与えます。交通ネットワークは停止しますし、エレベーターやエスカレーターを使う高層ビルは廃墟となります。つまり、都市としての機能が麻痺してしまうのです。
原発問題は、全ての人々の活動と生活にかかわる重大な問題なのです。電気なき生活を理想として掲げた結果、我が国が、経済の失墜と失業に苦しむようになるならば、この主張には疑問を抱かざるを得ないのです。
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