時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「伊都国」から分派した「奴国」「投馬国」「狗奴国」:伊ざなぎ尊は「伊都国」を象徴

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。前回は、日本国の統合は、『魏志』に登場する女王国を構成する奴国と投馬国の2国に狗奴国を加えた3大国からなるとお話しました(前回掲載イラスト図参照)。しかし、「奴国」、「投馬国」、「狗奴国」と表記された国々がどのような歴史を持ち、どこにあって、また日本語ではどのように呼ばれていたのかがわからなければ、「日本国の統合史は三大国の統合史」と言っても、読者の皆様はぴんとこないのではないでしょうか。

ここで、記紀神話をみてみましょう。

記紀神話によると、国生み神話で有名な伊ざなぎ尊から、殊に尊い神々とされる天照大御神、月読尊、すさのお尊の3貴神が生まれます。3貴神が三大国を表現しているのならば、伊ざなぎ尊と伊ざなみ尊の兄妹・夫妻神もまた、国を表現している可能性があります。

魏志』は、「伊都国」という女王国側に属する国について特筆しています。もとは国王があり、女王国の官吏は伊都国から国中を統治し、さらに外交使節も駐在していたとする『魏志』の文章から、伊都国が、かなりの歴史と文化を有する国であったことがうかがえます。伊都国が、弥生時代において、もっとも早くに開けた大国であったことは、その所在地の糸島半島の王墓級の墓から伊勢神宮の神宝の「八たの鏡」と同じ大きさではないかと推察されている大型内行花紋鏡などが出土していることによって、考古学的にも立証されています。

魏志』の時代、すなわち3世紀においては、伊都国は女王国に属するようになっていますが、3大国の前身であった可能性があります。その理由は、女王国と狗奴国は対立していながらも、その基本的国家構造が似ているからです。女王国も狗奴国も祭政分離体制を採っており、女王国では、祭は「卑弥呼」、政治はその「弟」が担い、狗奴国では、祭は「卑弥弓呼」、政治は「狗古智卑狗」という人物が担っていたようです。「卑弥呼」と「卑弥弓呼」という呼び名の近似も、両国が元は近い関係にあったことを示しているでしょう。すなわち、伊都国から分派したのが、「奴国」、「投馬国」、そして「狗奴国」ですので、この3大国は基本構造が似ているのです。

このように考えますと、伊ざなぎ尊から3貴神が出現したとする記紀神話は、三大国の成り立ちの歴史を物語っていると理解することができるのではないでしょうか。
 

(次回に続く)。

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