時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

日本書紀偽書説を否定する日本書紀紀年法

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。今回のテーマは、日本書紀紀年法です。

 『日本書紀』に用いられている年代表示は、「日本書紀紀年法」と称されています。『日本書紀』におきましては、神武元年の紀元前660年から持統11年の西暦697年までの間、今日の年号のように、その大部分は、歴代天皇の在位期間にあわせて紀年がふられているのですが、その年代表示には、『古事記』や海外史料との間に不整合性が散見されたため、研究史上、信憑性に薄いとして、『日本書紀』を偽書とする格好の材料となってきました。

 すなわち、「○○天皇の○年」が、西暦において何年に相当するのかが、不明であったことが、『日本書紀』の史書としての価値を損ねていたのです。

 
 わたくしは、日本書紀紀年法について研究を続けており、少なからず、神功皇后の元年の西暦201年から雄略5年の西暦461年までの間におきましては、日本書紀紀年法には、プラス・マイナス120年構想にもとづいて、多列・並列構造が設定されていることを解明いたしました。

 プラス・マイナス120年構想と多列・並列構造につきましては、拙論・拙著「日本書紀の紀年の編成をめぐる一考察」(『東アジアの古代文化』112号、2002年)、『日本書紀の真実:紀年論を解く』(講談社選書メチエ、2003年)、『源氏物語が語る古代史:交差する日本書紀源氏物語』(勉誠出版、2011年)などで扱っておりますので、ご参照いただければ幸甚ですが、日本書紀紀年法の構造がわかりますと、『日本書紀』の紀年は、それぞれ西暦何年に相当するのか、きちんと位置付けることができるのです。

 『日本書紀』の信ぴょう性は、’固有の領土問題’とも関連していますので、日本書紀紀年法研究が、日本書紀偽書説に対する反論として、お役に立てることは、たいへんよろこばしいことであると考えております。次回からは、プラス・マイナス120年構想と多列・並列構造がどのようなものであるのかを説明してまいります。

(続く)