時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

平昌オリンピック分散開催案―韓国の無責任体質が原因

 韓国で開催を予定されている平昌冬季オリンピックについては、雪不足、競技会場建設の遅れ、交通アクセス手段の計画中止、宿泊施設の不備…などから、かねてより開催が危ぶまれてきました。ここにきて、IOCが分散開催を認める決定を行ったそうですが、この顛末、韓国の無責任体質が原因ではないかと思うのです。
 
 しばしば、日本人は出世に消極的であり、ポストに対する意欲が低いとする批判的な指摘を受けてきました。しかしながら、この傾向は、仕事に不熱心で責任感に乏しいからではなく、むしろ、ポストに伴う責任の重さを感じ取っているからなのかもしれません。企業であれ、学校あれ、いかなる組織であっても、役職には全体に対する責任が伴うからです。一方、中国大陸や朝鮮半島では、役職は、主として”役得”を意味しており、それ故に、率先して自ら立候補の手を上げます。ところが、責任感が欠如した人物が重職に就きますと、トップが堂々と職権を私物化するのですから、組織は崩壊の危機に瀕します。韓国は、これまでも、国際スポーツ大会の開催地や国際機関のポストに積極的に立候補してきましたが、国際社会全体に負う責任については、思い至ることはなかったのではないでしょうか。
 
 韓国は、オリンピック・パラリンピックの開催を引き受けた以上、最後まで、国際社会に対する責任を果たすべきです。日本国政府もまた、2002年のFIFAワールドカップの二の舞を防ぐべく、安易に支援をしてはならないと思うのです。
 
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