時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

村山談話の問題点-戦争目的との齟齬

 村山談話のもう一つの問題点は、”侵略”という認定は、戦争を開始した時の日本国の戦争目的と著しく違っていることです。
 
 開戦に際しての昭和天皇の御詔勅米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)を読みますと、中国大陸に領土拡張を求めて開戦に至ったとは書かれておりません。村山首相をはじめ、中国と歴史認識を共有している人々は、詔書には明記せずとも、中国から領土を奪うことが目的であったと主張するかもしれません。しかしながら、当時の中国の国内状況の混乱ぶりを知れば、日本国が、中国大陸の安定を強く求めていた理由が分かるはずです。軍閥が各地に割拠し、共産主義勢力も蔓延り、政府らしい政府も存在しておらず、治安も劣悪であり、全てが混乱のうちにあったからです(在留邦人も危険に晒されている…)。開戦の御詔勅では、やむを得ず戦争とはなったものの、東アジアの混乱を収め、平和を確立することこそ、開戦の目的であると宣言しております。そして、日本国民の多くは、この目的を信じたからこそ、アジアの平和のために戦地に赴いたのではないでしょうか。
 
 仮に、この時、侵略が目的であると述べていたならば、どれほどの日本国民が先の戦争に賛同したでしょうか。少なくとも、当時の人々は、武を以って平和をもたらすと信じて戦ったのですから、戦後50年に至り、後付けで”侵略”と断定することは、日本国民に対して背信的な行為となるのではないでしょうか。
 
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