時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「進化論」から見えてくる人類共通の脅威:「野獣型人類 beast human」と「神様志向型人類god (goddess)-minded human」問題の解決案

  今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。前回、「野獣型人類 beast human」と「神様志向型人類god (goddess)-minded human」との間に、それぞれが異なる理想の世界を求めるがゆえの衝突が予想されてくると述べました。
 
「野獣型人類beast human」に世界権力を掌握されないための解決案として、穏便な案から残酷な案まで、以下のいくつかの案が考えられます。
 
①「野獣型人類beast human」の類人猿的性質を逆手にとって「野獣型人類 beast human」をコントロールする案
②『聖書』「黙示録」を信じて「野獣型人類 beast human」に対する神の裁きを待つ案
③進化論を信じて「野獣型人類 beast human」が「神様志向型人類god (goddess)-minded human」に進化するのを待つ案
④「神様志向型人類god(goddess)-minded human」が「野獣型人類 beast human」を武力をもって滅ぼす、もしくは、封じ込める積極案
 
上記の4つの案の他にも案があるかもしれませんが、今回は、まず①の案について述べさせていただきます。①の案は、チンパンジーの習性の一つである「① オスのチンパンジーにとって、群れにおける序列が、人生ならぬ‘さる生’のすべてとなっている」を利用する案となります。
 
チンパンジーには、ボス猿に従順に従うという習性があります。この習性を利用して、人間社会のボス猿とも言える為政者には、「神様志向型人類god (goddess)-minded human」の人を就けることによって、「野獣型人類 beast human」の行動を制御するという案となります。
 
案外、「神様志向型人類god(goddess)-minded human」は、意識的、もしくは、無意識に、この案を実行してきたのかもしれません。歴史的に見て、国王などの為政者には、一般人よりも、はるかに高い統治能力、高潔な人格、品性が求められる傾向にあります。
 
このような歴史的傾向は、‘人間社会に多少とも存在している「野獣型人類 beast human」に、他の人々の基本的権利を認めさせ、社会の調和と安定を維持させるためには、「神様志向型人類god (goddess)-minded human」による施策に従順に従わせ、その悪しき行動を抑制することが肝要である’とする「神様志向型人類god (goddess)-minded human」の認識のなせる技であったかもしれないのです。
 
その一方で、このチンパンジーの習性を利用した①の案は、仮に、為政者に、間違って極悪人、つまり、「野獣型人類 beast humanを就けてしまった場合、もしくは、就いてしまった場合の恐怖をも示しております。「野獣型人類 beast human」は、従順に極悪為政者に従うことになり、野獣的な思考と行動が、解き放たれてしまいますので、制御が効かず、このような「野獣型人類 beast human」がもとより人口の多数を占めるような国家では、国家ぐるみの‘悪徳国家’が誕生してしまうことにもなります。あたかも、ミルトンの『失楽園』において、悪魔が地獄から這い出てくるような、こわい状態となってしまうのです。
 
①の案は、確実に、為政者には「神様志向型人類god (goddess)-minded human」を就けることができるという保障がないかぎり、リスクの高い案であることにもなります。(続く)

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