時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

戦後70年談話がもたらす国内的な波紋

 今月14日にも閣議決定される予定の戦後70年談話。中国や韓国に配慮した内容を期待する向きもありますが、日本国民に及ぼす影響についても考慮すべきではないかと思うのです。

 仮に、中韓の要求通りに”侵略”、”植民地支配”そして”謝罪”を談話に明記するといたしますと、日本国が、ひたすら侵略を目的に先の戦争を戦ったことになります。日本国もまた、大義を掲げて先の大戦を戦ったことは、既に先日の記事で指摘しておりますが、70年談話の内容によっては、これまで日本国民の間で成立してきた暗黙の了解が崩壊するリスクもあります。戦後における日本国とドイツとの違いは、ドイツが戦争責任を全てヒトラーナチスに帰す一方で、日本国は、日本国民全員がその責を引き受けたことにあります。”一億総懺悔”という言葉は、当時の日本人の心境をよく表しており、また、国民の多数の請願を受ける形で戦犯の名誉回復が図られたのもドイツではあり得ないことです。昭和天皇が焼け野原となった日本各地をご訪問なされた際に、国民の誰もが歓迎こそすれ、批判の声は殆ど聞かれなかったのも、日独の違いを際立たせております。ところが、今般、先の戦争を”侵略戦争”と切って捨てる内容の戦後70年談話が公表されるとしますと、この構図は脆くも崩れ去ります。たとえ、軍部を糾弾するものであっても、一緒に戦った日本国民は梯子を外され、残されるのは不名誉な立場だけです。

 日本国民は、大義を信じて戦ったわけですから、今日、戦後生まれの国民が多数を占めるとしても、そのダメージは、決して小さくはありません。戦後70年談話が、国民の暗黙の了解を否定するとしますと、日本国民の多くは、納得しないのではないかと思うのです。

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