時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

『China 2049』と『吉備大臣入唐絵巻』から見えてくる中国の『兵法三十六計』の脅威(パート7)

今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、昨今、反響を呼んでおります『China 2049』に関連して、『吉備大臣入唐絵巻』から見えてくる中国問題の記事を書かせていただきます。
 
マイケル・ピルズベリー氏が、『China 2049』の第1章のはじめに記載した「天無二日 土無二王」という言葉は、「天に二つの太陽はない 地には二人の王はいない」という意味であり、氏が、中国共産党の思考・行動形態は、この考えにもとづいている点を指摘しておられることは、先述いたしました。
 
「天無二日 土無二王」という考えを肯定するか、否定するのかの問題は、人類の行く末を考えた場合に、極めて重要ですので、本日も、この問題について扱います。
 
 仮に、「天無二日 土無二王」という言葉どおりの状態となることを目指した場合、それは、‘無実の他者への攻撃を容認する思想’となる点は、12月8日付本ブログで述べました。すなわち、この言葉の何が、もっとも問題であるのか、と言いますと、まさに、‘無実の他者への攻撃を容認する思想’と密接に繋がっている点にあるのです。
 
 これは、昨今のイスラム教徒による無差別テロが、国際的に極めて強く非難されている理由をも説明していることになります。‘無実の他者への攻撃を容認する思想’は、当然、‘悪’として認識される行為であり、刑法におきましても、強盗殺人罪やテロ行為が、最も重い罪とされていることの理由でもあります。
 
特に、キリスト教世界におきましては、イエス・キリスト自身が、この‘無実の他者への攻撃を容認する思想’の犠牲者となった人であることによって、‘無実の他者への攻撃を容認する思想’は、殊更に、忌嫌われている思想となっております。「天無二日 土無二王」という考えの持ち主であるヘロデ王は、自らの地位の安泰を図るため、イエス・キリストの出生した年代に出生した子のすべてを、殺害しようといたします。イエスは、難を逃れるために、エジプトに避難せざるをえないことになります。さらに、ヘロデ・アンティパス王の謀略によって、何ら罪の無いイエス・キリスト磔刑に処されたことは、よく知られたことです。こうした点から、キリスト教世界におきましては、‘無実の他者への攻撃を容認する思想’は、特に、‘極悪’と認識され、容認できない思想となっているのです。
 
 この点が、無差別テロを行うイスラム教徒に対するキリスト教世界の強い反発を説明していることになります。イスラム教徒は、自らの主張を暴力で押し通そうと、何ら罪の無い人々にまで攻撃を加えるようになればなるほどに、キリスト教徒の間において、イスラム教徒に対する‘極悪’認定のレベルが増し、イスラム教徒に対する非難がさらに強まり、移民排斥運動に繋がっている、と言うことができます。
 
 この問題の解決には、まずもって、イスラム教徒が、‘無実の他者への攻撃を容認する思想は、極悪な思想である’という意識をきちんと持つことが必要なのでしょう。

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(続く)