時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

”法破りは偉い証拠”という中国の危険思想

 常設仲裁裁判所の判決に対して、中国は、”逆切れ”状態にあり、何としても国際社会を屈服させようと必死です。それどころ、ネット上には、今般の一件は、中国を追い詰めるどころか、逆に、大国としての中国の地位を確立させたと嘯く意見も見られます。

 常識的に考えますと、全面敗訴の判決を受けた中国が、何故、その地位が上がるのか理解に苦しむのですが、そこで思い起こすのは、中国大陸や朝鮮半島の伝統的な法やルールに対する考え方です。かの地では、伝統的に、”法や道徳とは他者を縛るものであって、自らを縛るものではない”とする考えが根付いているそうです。しかも、”偉い人”ほど法に服する必要はなく、法破りが許される立場にあることが、権力者の証なのです。このため、権力者は、しばしば、自らの”偉さ”を誇示するために、敢えて法やルールを破るという行動に出ます。仮に、現在の中国にもこの思想が染み付いているとしますと、中国人から見ますと、仲裁判決に従わない中国は偉い、ということになるのでしょう。しかしながら、この考え方は、中国大陸や朝鮮半島では通用しても、国際社会では危険思想でしかありません。”偉い人=無法者”になるのですから。権力を握っている無法者ほど、危険な存在はないのです。

 どうやら、中国と国際社会一般とでは、”あべこべ”の世界に住んでいるようなのです。中国は、現代という時代にあっては、大国たりとも法を順守せねばならず、むしろ、大国たればこそ、法秩序を護る責務を負うことに思い至るべきと思うのです。

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