時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

天皇の意思と瓊瓊杵尊の御霊の継承

 天皇天皇たる所以は、即位に際して催される大嘗祭にて真床御衾に入られ、瓊瓊杵尊の御霊を引き継がれているからとされております。この儀式を境にして、天皇は、人ではなくなり、いわば、”神”になられるのです。

 日本国では、全国各地に、人が神の憑代となり、神霊が下りている間に限って、神格化される行事が残されています。祇園祭において、神様として扱われるお稚児さんなどもその一例なのですが、神道においては、決して珍しいことではありません。中世におきまして、天皇が、しばしば、5歳や9歳といった幼児であったことは、このことを示す好例となります。

 しかしながら、今日、昭和天皇人間宣言をなされ、かつ、皇室が国民に世俗的な姿を見せてきたことで、天皇を”神”として崇める国民は、めっきり少なくなりました。今般の生前退位-譲位-問題に際しても、天皇の意思を”神の意志”として語る論者は殆どおりません。否、”神の意志”ではありえないところに、今般の問題の根の深さがあるのです。何故ならば、仮に、歴代天皇が、瓊瓊杵尊の御霊を引き継いでいるならば、代替わりによって天皇の意思が変わることは、本来、あり得ないからです。言い換えますと、今日の天皇の意思とは、人としての意思として解釈せざるを得ず、それ故に、様々な世俗的、あるいは、政治的な思惑が背後に蠢いていると推測せざるを得ないのです。

 天皇が男性である理由も、Y遺伝子論よりも、瓊瓊杵尊が男子であったことの方が余程説得力があります。そして、瓊瓊杵尊こそ、古代日本の三大国であった奴国、狗奴、投馬国の統合を象徴する存在であったかもしれないのです(三種の神器も統合の側面から説明できる…)。おそらく、日本国の歴史において、天皇の主たる役割が祭祀であり、政治から切り離されたのも、象徴たる存在を立てることによって日本国の統合が成ったという歴史を反映しているのでしょう。

 日本国統合の象徴であるためには、瓊瓊杵尊の御霊の憑依として、天皇は自らの人としての意思を持ってはならないはずなのですが、今日、天皇が、その人としての意思を持ち始めていると現状は、天皇の存在意義を危うくしていると思うのです。

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