英王室とコーブルク公国との関係
本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。これまで述べてきた経緯からしますと、ジェームズ3世とメクレンブルグ公女・シャーロットとの間に生まれたジョージ4世、次国王のウィリアム4世、そして、ヴィクトリア女王の父であるケント公エドワード・オーガスタス王子(1767年 - 1820年)は、いずれも素行がよろしくなく、ネオ・ユダヤ人組織の国権掌握計画に乗せられた人々であったと推測されます。
そして、さらに注目すべきは、ケント公エドワード・オーガスタス王子とその妻となったマリー・ルイーゼ・ヴィクトリア・フォン・ザクセン=コーブルク=ザールフェルト(Marie Luise Viktoria von Sachsen-Coburg-Saalfeld)です。マリー・ルイーゼもまた、コーブルクというドイツの一公国の公女です。
1430年以降、コーブルク市の市章は聖マウリティウスという黒い肌を持つネイティブ・アフリカンの肖像です。聖マウリティウスとは、エジプト出身のローマの軍人であり、カトリックでは殉教者として崇拝されています。アフリカ出身者を市の守護神としている背景には、カトリックの源流、あるいは、イエズス会の黒マリア信仰との間に通底する何らかの関連性が隠されているのかもしれません。メクレンブルグの紋章も、黒い牛の頭部という点とも共通しているのです。
また、コーブルクには、1473年に建設された聖ニコラウス礼拝堂(St. Nikolauskapelle)があり、1529年からは福音派の礼拝堂、1806年からはカトリックの礼拝堂、1873年から1932年の間はユダヤ教のシナゴーグというように、宗教・宗派の変転を繰り返しました。この教会はおそらく、シナゴーグに改装されたドイツ唯一の教会であろうと推測されているそうです。
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(続く)