時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

無併合・無賠償の原則を忘れたロシア

 新聞報道によりますと、プーチン政権誕生以来、ロシアではナショナリズムが高まっており、プーチン大統領も、ロシアによる北方領土領有は国際法において承認されていると主張しているようです(本日産経新聞朝刊)。この主張が正しければ、戦争の結果、他国の領土を併合することを、国際法が認めた、ということになりますが、果たして、この言い分は妥当なのでしょうか。

 戦争によって、領土の変更や賠償を求めないとする方針は、驚くべきことに、ロシアが、国際社会において始めに言いだしたことでした。これは、第一次世界大戦に遡るのですが、1917年に、ロシア革命によりソヴィエト政権が誕生した際に、レーニンは、「平和に関する布告」という声明を発して、ドイツとの単独講和の原則として、”無併合・無賠償”を掲げたのです。

 この原則は、アメリカのウィルソン大統領にも影響を与え、「平和のための十四カ条」にも反映されたと言います。実際のパリ講和会議での決定は、この提案の通りにはなりませんでしたが、後の第二次世界大戦に際しては、連合国側は、”無併合””無賠償”の原則をもって戦争に臨み、大西洋憲章カイロ宣言に明記されることになりました。第二次世界大戦という悲惨な戦争の結果が、曲がりなりにも人類に貢献するものであったとするならば、この原則の確立をおいて他はありません。もし、この原則なかりせば、”切り取り御免”の状況が続いたことでしょう。

 さて、連合国の方針が無併合・無賠償であったとしますと、ソ連北方領土占領は、明らかにこの方針に反していたことになります。そして、ソ連建国時の方針にも背いることになります。結局、ソ連は、帝政時代から今日に至るまで、体制に変化はあっても、相も変わらず覇権主義的な行動パターンを踏襲してきたのです。ロシアの国家としての現代化は、国際社会の原則を受け入れることから始まるのではないでしょうか。