時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

チベット問題の不条理な平和解決論

 チベットで発生した反政府運動に対して、双方の自制や平和的な解決を求める声が、政府やマスコミから聞こえてきます。しかしながら、チベットが中国の支配を受けるようになった経緯を考えますと、この見解は、不条理であると思うのです。

 紛争に至った双方が対等の立場にある場合には、交渉による妥協や足して二で割る方式の解決は可能かもしれません。しかしながら、チベットの場合には、この条件には当てはまりません。戦後の混乱期に紛れて、中国政府が、チベットに謀略を仕掛けて内部分裂を引き起こし、1951年に、チベット人民解放軍を進駐させて併合したことに事の発端があるのです。当時、まだ10代であったダライ・ラマ14世は亡命を余儀なくされ、1960年にインド北部の亡命政権を樹立しますが、中国の軍事力と仏教国であったチベットとの力の差は歴然としています。実際、1951年には、チベットの代表団は、北京において、中国政府が示した「17条協定」に無理やりに調印させられているのです。その第一条には、「チベット人民は中華人民共和国という祖国の家族のもとに戻る」と書かれてあったと言います。

 以上の経緯を考えますと、中国が、チベットの要求に応える可能性は極めて低く、平和解決とは、結局、チベットが、豊富な地下資源を含めて自らの権利や利益を中国に譲ることを意味してしまいそうです。これでは、窃盗に入られた家の主人が、泥棒と交渉して、盗まれた自分の財産を半分分けることに合意するるという、あまりにナンセンスな状況となるのではないでしょうか。