時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

入試カンニングが悪である理由

 京都大学の受験で発覚したカンニング事件。ネットの掲示板では、監督を怠った大学側が悪いといった、カンニング擁護論の書き込みもあるようです。

 オウム事件では、何故、人殺しが悪いのか、ということを、きちんと論理的に説明できない専門家が多数出現し、社会における道徳的な基盤の欠如が問題となりました。今回の事件でも、カンニングが処罰を受ける理由を説明できなければ、今後とも、”ばれなければよい”とする輩が現れてもおかしくありません。カンニングが悪である理由とは、競争の公平性の破壊し、他者を犠牲とする行為であるからに他なりません。合格者の人数が限られている入試では、皆同じ条件で臨まなければ、公平な結果を得ることはできないのです。一部の人だけが有利な状態、つまり、カンニングでは、設問の正解を知ることができることができれば、競争の公平性は根底から失われます。そうしてその行為は、本来合格すべき人を、合格枠から突き落とすいう、侵害行為でもあるのです。

 カンニングが許容される社会とは、ずる賢い人だけが蔓延る不公正かつ不公平な社会であり、その陰で、多くの犠牲者が涙を流すことになります。教育現場では、道徳教育がなおざりにされてきましたが、試験の不正が何故悪なのかを教え込むことから、道徳の再生を始めるべきかもしれません。

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