時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

”日本維新の会”への違和感

 維新の時代とは、日本国の歴史において特筆すべき転換期にあたり、”御維新”とは、様々な逸材の活躍により、欧米列強による植民地化を巧妙に回避し、独立近代国家の礎を築いた偉業でもあります。この明治維新にあやかって、橋下氏率いる政治集団は、”日本維新の会”という名称を党名に選んだのでしょうが、どうも、違和感を禁じえないのです。

 この違和感が、どこから来るのかと申しますと、”明治維新”と”平成維新”とでは、その実態が、あまりにかけ離れているからです。そもそも、橋下氏は、自らを坂本竜馬に擬えているのでしょうが、竜馬は志半ばで暗殺され、明治の時代を見ることなくこの世を去りました。竜馬が今日まで、人々を惹きつけている理由は、その早過ぎる非業の死にある一方で、橋下氏が竜馬と運命を共にするとは思えません。つまり、橋下氏は、竜馬の斬新な改革者のイメージだけを利用しようとしているのです。しかも、竜馬は、志士達の一人に過ぎず、橋下氏が志向しているような独裁体制を目指したわけでもありません。むしろ、合議制をよしとしたのであり、この点も、橋下氏とは逆です。

 仮に、明治維新と平成維新との間に共通点があるとしますと、それは、陰謀論を持ち出さなければ、説明がつかなくなります。武器商人であった英国人グラバーとの親交があったため、竜馬は、”フリーメイソン”といった秘密結社との繋がりが疑われることがあります。橋下氏の背景にも、外国勢力の存在が疑われていますが、もし、両者の間に、こうした隠れた共通点があるとしますと、違和感を越えて、いよいよもって、”日本維新の会”に対する不信感が募ってくるのです。

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