時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

‘謀略史観’から集団的自衛権の問題を眺めてみればパート2

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。5月20日附け本ブログにて、「‘謀略史観’から集団的自衛権の問題を眺めてみれば」と題しまして、集団的自衛権は、自国の滅亡にもつながる‘両刃の刃’の権利であり、政府案が‘最も危険な案’であることを指摘させていただきました。
 
集団的自衛権とは、軍事協定を結んでいる国家間においてのみ、相互に発生する権利です。したがいまして、「集団的自衛権」といった場合、我が国といたしましては、米国との間にのみ発生する権利なのです。すなわち、同盟国の米国本土が、敵国からの攻撃を受けた場合にのみ、我が国の集団的自衛権は発動するものとなり、米軍を武力支援、後方支援することになるのです。
 
そもそも‘集団’という概念は、確実に味方同士であるという認識がなければ成り立たない概念です。そして、互いに同盟相手として相応しとする認識は、民主主義、自由主義基本的人権の尊重、法治主義など、基本的価値観を同じくしているといった点から生じてくると言うことができるでしょう。
 
米国政府が、尖閣諸島に中国軍が侵攻してきた際に、尖閣諸島を防衛すると明言してくださっておりますことは、尖閣諸島が、同盟相手の日本領であるからであり、米軍による尖閣諸島の防衛は、日米同盟にもとづく米国の集団的自衛権の発動なのです。
 
ところが、政府案による‘集団’には、米国以外の国が含まれているのではないかと疑わざるをえません。その疑いは、政府案では、我が国の集団的自衛権の発動することになる敵国からの攻撃について、敵国から攻撃を受けた国を、「米国」とは明記せずに、「我が国の存立にかかわる国」という曖昧な表現が採られていることによっても、深まるものとなっております。
 
さらに、3要件の「生命、自由、幸福」につきましても、なぜ、「財産」は入っていないのでしょうか。特に、侵略行為とは、占領地住民の財産を奪うことを目的としている場合が、よほど多いのですから、所有権は重要です。また、世の中には、他人の不幸を‘幸福’と感じるようなメンタリティーの人々も存在しているのですから、あまりに恣意的な解釈が入り込む余地のある要件であると言うことができるでしょう。
 
そして、政府案におきまして、もっとも問題視しなければならないのは、「我が国の存立にかかわる国」であるのかないのかの判断は、いったい誰が行うのか、といった点にあります。
 
仮に、このまま政府案が閣議決定されてしまいますと、曖昧な表現であるがゆえに、為政者の恣意的な解釈や決定によって、我が国は、同盟国以外の国々の間の紛争にも巻き込まれる可能性が高くなります。仮に、為政者による本政府案の恣意的解釈によって、朝鮮有事に巻き込まれますと、もっとも悲惨な結果となります。
 
竹島占拠事件や我が国を誣告する従軍慰安婦問題にも示されておりますように、韓国は、我が国を‘敵’としてみなしております。また、共通の政治的価値観を持つがゆえの‘味方’でもありません。国際法秩序を守らない韓国の民間人である義勇兵によって竹島が武力占拠されたことは、韓国民は、我が国の政治的価値観と異なる価値観を有していることを如実に示しております。北朝鮮も韓国も、我が国の‘敵’ですので、日本の自衛隊の若者たちに、韓国に赴かせる‘大義’は、どこにも無いのです。
 
また、本政府案が閣議決定されて、朝鮮有事に巻き込まれるという可能性が生じただけでも、すでに悪影響が出てくることにもなります。将来、朝鮮有事には戦場へ赴かなければならないとなりますと、日本人の若者たちの間で、自衛隊への入隊希望者は激減し、自衛官たちも、自衛隊から脱退してしまうかもしれません。この政府案は、我が国の防衛力を落とす結果となる可能性が高いのです。
 
謀略史観から眺めて、わたくしが、最も心配しておりますことは、集団的自衛権をめぐる政府案は、我が国の防衛力を落とし、朝鮮有事に我が国を引き込むための謀略ではないか、ということです。
 
(続く)
 
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