時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「進化論」から見えてくる人類共通の脅威:‘類人猿の習性から人類の欠点を発見すべし’

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。本ブログにおける前回の記事(7月22日付)におきまして、一口に人類と言いましても、人種や民族があることに示されますように、進化の過程で人類にも様々な種類が生じており、種を特色付ける染色体や基本的なDNA配列は共通であっても、身体的特徴のみならず、メンタリティーにも違いが生じている、という点を指摘させていただきました(個人レベルでも…)。
 
せっかく、19世紀に、ダーウィンが進化論に気付いてくださいましたことで、‘類人猿の習性から人類の欠点を発見すべし’という人類の永続的存続にとりまして、重要な課題の解決につながる研究アプローチが、人類に与えられることになったわけですので、進化論を利用しないわけにはまいりません。
 
では、人類の多様性という人類の美点とも捉えられている特徴の何に問題があるのかと言いますと、類人猿の持つ様々な習性のうち、悪しき習性を残したままに進化してしまっている人種や民族が存在してしまっている、という点にあるのではないか、と考えることができます。
 
人類には、尾っぽが無いことにも例示されますように、進化におきましては、退化して消え去る部分と、残される部分があります。メンタリティーの進化にも同じことが言えます。
 
では、類人猿の有する習性のうち、‘人類の欠点の発見’と関連がありそうな習性には、どのようなものがあるでしょうか。人類にもっとも近い類人猿は、チンパンジーですので、チンパンジーの習性を見てみますと、まずもって、第一に、次のような点を挙げることができます。
 
①オスのチンパンジーにとって、群れにおける序列が、人生ならぬ‘さる生’のすべてとなっている。
 
 まずは、この点につきましては、人類のかなり多くの人種や民族が、類人猿のこの悪しき習性を残しているのではないか、という意見が、多数を占めるのではないでしょうか。
 
 次回は、この①の問題につきまして、人類史と人類の将来の問題との関連も含めて、より深く考えてみることにしましょう。
 
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(続く)