時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

”吉田清治の謎”を推理する-日本国政府は戸籍調査を

 本日の記事は、全くの推理であることを断った上で、慰安婦問題の火付け役となった”吉田清治”なる人物の謎に迫ってみたいと思います。
 
 ”吉田清治”なる氏名はペンネームであり、本名は、吉田兎雄とされているものの、門司市立商業学校の卒業名簿には、”死亡”と記されています。このため、日本人の戸籍を乗っ取った背乗り説もあり、正体不明の謎の人物とされています。背乗りを示唆する根拠とされるのは、1937年4月30日、本人が24歳の時に、自らと4歳しか違わない李貞郁なる朝鮮人を養子としていることです。この養子の後半生については、小説の中では戦死と遂げたと記されていますが、現実には生存しており、1942年に妻帯し、九州で労働組合の幹部に務めた後、1983年に死亡したと吉田自身が証言しています。そこで、実は、養子ではなく実弟ではなかったのか、とする推論もあるのですが、実は、李貞郁こそ、”吉田清治”本人であった可能性も否定できないのではないかと思うのです。
 
 慰安婦問題は、日本国の国家の名誉に関わる重大問題ですので、”吉田清治”なる人物の正体を明らかにすることは、避けて通れない作業です。上記の推論は、全くの見当違いかもしれませんが、日本国政府は、国民の疑問に答えるためにも、戸籍の調査も実施すべきではないかと思うのです。
 
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