時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「進化論」から見えてくる人類共通の脅威: ヘロドトスの知っている世界と知らない世界

今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。
 
去る11月2日、ニューヨークタイムズ紙(日本語版)にて、「人間は元来残忍なのか―祖先のチンパンジーにみる本性」とするタイトルにおきまして、99%人類と遺伝子が同じであるチンパンジーの残忍性と人類との関連についての記事が掲載されておりましたので、今日は、この記事につきまして、意見を述べさせていただきます。
 
本記事によりますと、チンパンジーは、どうやら、本性として他のチンパンジーの殺害を行うようです。しかしながら、この記事は、同じく99%人類と遺伝子が同じであるボノボは、殺害行為をめったには行わないという観察につきましても指摘しております。そして、人類は、いったいどちらの性質をより強く引いているのか、という問題提起を読者に対して行っているのです。
 
なぜ、このような問題提起がなされ、人々の関心を呼んでいるのか、と言いますと、人類は、ボノボ型に近い世界を築こうと努力してきており、今日の国際社会における様々な紛争調停機関は、このような世界を制度的にも担保しようとする人類のたゆまない努力の賜物であると言うことができる一方で、「イスラム国」に加わっているような人々のメンタリティーは、同じ‘人類’とは認識され得ないような状況となっており、世界の人々に、‘人類とは何者であるのか’という疑問符を投げかけているからなのではないか、と考えられます。
 
では、人類は、本性として、野蛮で残忍なのでしょうか。それとも平和的・文明的であるのでしょうか。少なからず『歴史』を著したヘロドトスが知っている世界の人々の間におきましては、平和的・文明的であったのではないか、と推測することができます。
 
人類は、野蛮人状態から文明人状態へと成長したとする考えが間違えであることは、ヘロドトスが、殺害行為が、古代におきまして、人類の間で、極めて忌む行為であったと記述していることによって、窺うことができます。すなわち、最初から、人類は、殺害行為を忌避する性質を持っていたと言うことができるのです。
 
しかしながら、‘ヘロドトスの知らない世界’では、どうであったのでしょうか。古代フェニキア人は、世界中を航海して、貿易に携わった人々ですが、寄港先の人々が‘人食い人種’であるか、ないかが、重要な問題事であったと、ヘロドトスは、同じく『歴史』において述べております。このことは、人類の気質の形成には、時代の流れの影響よりも、そもそも、どのような環境のもとで、1種族や1民族として、枝分かれ進化していたのか、といった問題の影響の方が、より大きいことを示唆しているようです。
 
現在の世界は、様々な環境のもとで枝分かれ進化したために、相い異なるメンタリティーやパーソナリティーを有するようになっている多種多様な人々の集団によって成り立っているという、困難な問題を、人類は抱えていることになるのです。
 
よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
 
 
 
(続く)