時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

皇室をつかさどるのは伝統と慣習

 私的行為とされながらも、伝統的な祭祀こそが、天皇の存在意義であることについては、長らく国民の間の共通認識となってきました。しかしながら、現代という時代にあって、一たび、法律論が展開されるようになりますと、法律に根拠のない行為は、あたかも無用の行為、あるいは、改廃可能な行為であるとする主張も見られるようになったのです。

 そもそも、天皇という存在は、二千年を超える歴史と伝統によって支えられています。歴史や伝統から切り離しては、天皇も皇室も存在しえないのです。皇室の伝統行事としての新嘗祭歌会始をはじめ、地方行幸でさえ、法律に根拠を持つものではありません。皇室とは、議会制定法ではなく、伝統と慣習がつかさどる空間、つまり、慣習法が支配する領域と言えましょう。この側面から考えてみますに、法律に根拠がないことを理由として、皇室の伝統継承を拒否したり、独断で変質させたりすることは、皇室の存在意義そのものを壊す行為に思えてなりません。そうしてそれは、国民の暗黙の合意の基盤さえをも、無残にも消失させることになるのです。

 歴史や伝統によって支えられている存在は、歴史と伝統が定めた役割や義務を果たさなくなったとき、危機を迎えることになります。政治から離れ、国家と国民のために祈る天皇の無私の姿こそが、民主主義国家としての日本国と調和した姿とは考えられないでしょうか。