時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

開かれた皇室の大いなる矛盾

 戦後一貫して、”開かれた皇室”は、皇室と国民との距離を縮め、皇室が、国民に親しまれる存在となるための基本方針となってきました。昭和天皇は、地方に行幸されて近しく国民と親しみ、今上天皇は、民間から初めてお妃を迎えられました。こうして、戦後の皇族は、国民とともに歩む姿を自らの行動によって示されることになったのです。しかしながら、この”開かれた皇室”の方針にも、誘惑に満ちた現代という時代にあっては、盲点があったようなのです。

 それは、皇室の人々が、”開かれた皇室”の方針に沿って、民間の人々と接し、あるいは、民間の人々の中から配偶者を選ぶとなると、むしろ、隠さなければならないことが多くなってしまったことです。人間とは、完璧な聖人であることは稀であり、世俗にまみれてはなおさらのことです。仮に、皇族やその配偶者に不品行があった場合に、”開かれた皇室”の方針通りに情報を公開すると、即、皇室の品位や権威の失墜に繋がってしまうのです。不品行な行動や情報を、隠せば隠すほど、国民の不信は募って信頼を失いますし、反対に、公開に及んだは及んだで、今度は、事実を知った国民の失望と怒りを買うことにもなりかねません。皇室を開けば開くほど、閉じようとする動機が増すことは、”開かれた皇室”の大いなる矛盾なのです。

 現代という時代を考えますと、情報は全て公開すべきでしょうし、皇族の行動は、この情報公開に耐え得るものであるべきとは言えましょう。国民の信頼こそ、皇室を支える最大の基盤なのですから、情報隠ぺいのための”閉じた皇室”の方向に向かうことは、あってはならないと思うのです。