時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

”いじめ”の本質は恐怖政治

 学校が行う”いじめ”対策として、最も一般的な方法は、いじめの加害者側と被害者側を個別に呼んで、カウンセリングを行うというものなのかもしれません。しかしながら、いじめの本質が、教室を暴力や恐怖で支配することにあるとするならば、この方法では効果が期待できないのではないか、と思うのです。

 ”いじめ”とは、個人間のトラブルではなく、その本質は、恐怖政治と同じものです。つまり、”いじめ”の本質とは、暴力と脅しを手段として、一人、あるいは、特定の集団によって、教室が支配されてしまうことなのです。誰もが、いじめられている人を助けたいと思っても、怖くて手出しができません。それは、今度は、自分がいじめられる側になってしまう恐れがあるからです。この構図があるからこそ、”いじめ”問題は根深く、しかも、解決が難しいのです。年少期にあって、こうした恐怖支配の経験が、子供たちの心の成長に良い影響を与えるはずはありません。”いじめ”が、本当は組織的な破壊活動ではないか、と疑う理由は、子供達が、恐怖政治に慣れさせられているという側面もあるからです。

 もし、いじめ問題を解決しようと思うならば、暴力や脅しによる支配に立ち向かう心を教えなくてはなりません。一人一人の人間には尊厳があり、自由があり、自らを伸ばしてゆく可能性は、誰にでも開かれていることを。そうして、そのためには、みなで協力して暴力や脅しに抵抗し、決して屈してはならないことを。狭い教室であっても、もし、自らの力で恐怖政治を吹き払うことができたならば、その経験は子供たちにとって大切な宝になるはずです。そうして、こうした経験を持つ子供たちが大人になった時、社会もまた、健全さを取り戻し、公正かつ公平な社会に向かって歩み始めるのではないでしょうか。