時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

裁判員制度と宗教という不安定要因

 裁判制度において最も大切なことは、中立・公平であるということです。ところで、ニュースによりますと、現在、各宗教とも裁判員制度への対応について、議論が起きていると言います。そうして、その結果次第では、裁判の中立・公平性に多きな影響を与えそうなのです。

 中立・公平性の観点からしますと、裁く側の個人的な思想や信条によって、判決の内容が変わることはあってはならないことです。同じ重罪を犯したとしても、裁判を行う側が、死刑反対の立場か、賛成の立場かによって、被告人の運命は、生死を分けるほど大きく違ってきます。これでは、裁かれる側が不公平感を抱くことになりますし、司法制度としての信頼性も低下してしまいます。現在、仏教界を中心に、死刑判決について否定的な意見が強いと言いますが、もし、法律よりも、個人の宗教的な信条が優先されるとしますと、法律は、形骸化してしまうことにもなりましょう。

 こうなりますと、裁判の中立・公平性を守るためには、抽選で裁判員に選ばれた人が、自らの思想や信条を明らかにし、辞退を申し出るか(この理由が認められるかは、裁判官の判断次第・・・)、あるいは、検察側と弁護側の双方が、忌避権を用いてこうした人々を裁判員の候補から外すしかなくなります。結局、裁判員という公務には、思想のチェックが必要ということであり(遵法精神の確認?)、この議論は、さらなる広がりを見せそうな気配も感じるのです。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
<A HREF="https://blog.with2.net/in.php?626231">人気ブログランキングへ</A>