狂気の支配は国民の不幸
独裁者とは、えてして自己陶酔を国民に押し付け、それを体制として固定化するものです。リビアのカダフィ氏は、”中東の狂犬”と呼ばれたそうですが、狂気の支配は、国民を不幸にします。
リビアでの国民の独裁者に対する反発と抵抗は、痛く自然なことであり、他者からの一方的な支配を望む者はわずかなはずです。誇り高い人々であるならば、なおさらのことであり、個人崇拝は苦痛でしかありません。一方、独裁者の側は、自らの独善的な”理想郷”に、国民を縛りつけようとします。カダフィ氏は、「緑の書」を著して国民に配布したそうですが、この手法は、中国の「毛沢東語録」を参考にしたと伝わります。北朝鮮の主体思想も然りであり、独裁者とは、他者の思考までも完全に支配しようとするのです。本来、人が人の思想を縛る権限など、ないのですが・・・。
どどまるところを知らない独裁者の支配欲の追求は、普通の人々にとりましては、まさに狂気の沙汰です。我が国の民主党政権の中にも、革命思想にかぶれた政治家がいることを考えますと、民主党政権における混乱は、狂気のなせるものなのかもしれません。
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