時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

政府の政策は安全対策ではなく安心対策

 東日本大震災の発生以来、政府の安全対策の基本に、”安全対策をしないことが安心を与える”という本末転倒の方針があるように思えるのです。本日の新聞記事にも、作業員の方々の心理的な負担を考慮して、造血幹細胞の採取を原子力安全委員会が見送ったとする記事が掲載されていました。

 この判断は、極めて奇妙なことです。何故ならば、一般的な常識からすれば、造血幹細胞が事前に採取してあれば、たとえ被曝しても、治療が受けられるとして作業員の方々は安心するはずです。たとえていえば、高所で危険な作業を行っている人々に対して、命綱を付けることは、落ちるのではないかと不安になるから止めよう、というようなものです。どちらが安心かは、一目瞭然です。もし、万が一にも被曝することにでもなったら、一体、誰が責任をとるのでしょうか。実際に、作業員の方々が、高度に汚染された水たまりを踏んで被曝するという事故が起きています。

 この報道が事実であるならば、福島第一原発の事故に関する発表にも、国民に不安を与えないための同様の”配慮”がなされているのではないかと、疑いたくなります。安心とは、充分な安全対策をしてこそ、なのではないでしょうか。政府の政策は、安心対策であっても、決して安全対策ではないと思うのです。

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