時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

安全=脱原発の構図は狡猾な誘導では?

 反原発派の人々は、国民の安全のためには、即、原発を放棄すべき、と主張しています。この主張に同調するマスコミも少なくないのですが、こうした固定化された構図で国民に選択を迫ることは、ある種の誘導ではないかと思うのです。

 何故ならば、原発の安全性を高める手段は、それをそっくりそのまま放棄することだけではないからです。地震に備えた耐震性の強化、津波対策としての防波堤の設置、電源喪失を想定した各種装置の設置・・・など、安全性を高める方法は、存在しています。将来的には、トリウム原子炉や小型原子炉等、メルトダウンを起こさない原子力技術の実現も夢ではありません。反原発派の人々が、国家的な損失や他者の利害に対して理解があるならば、別の方法を探ることで妥協することもあり得ます。安全の確保こそが目的なのですから、それが実現すれば、不満は解消されるはずなのですから。しかしながら、こうした妥協点を探らずに、一方的に原発廃止を訴えているとしますと、安全性の主張の裏には、別の目的が潜んでいるのかもしれません。

 国民は、まずは、安全=脱原発の構図を疑ってみるべきです。自己の都合のよい構図を設定し、一方的に選択を迫るのは、詐欺師の手法でもありますので、国民は、狡猾な誘導に嵌められないよう、警戒すべきと思うのです。

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