時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

”脱原発はできる”-ただし多大な犠牲を払うなら…

 政治家を含め、”脱原発はできる!”と言い切る人々がいます。今でも、大飯原原発を除いて、全ての原子炉は稼働停止しているのに、電力は足りているではないか、と・・・。

 しかしながら、目的を達成するのに、多大な犠牲を払わなければならない事柄に対して、”できる!”と断言してもよいのでしょうか。2030年や2020年までに、全原発廃炉処分とするとしますと、莫大なコストがかかることは目に見えています。電気料金は二倍となり、企業の競争力低下で雇用は減少し、各家庭に省エネ装置の設置が義務付けられ、日本の国土は、太陽光発電のパネルで埋め尽くされるかもしれません。しかも、再生エネが普及すればするほど、電気料金は高くなりますし、発送電を分離して電力市場を自由化したとしても、需要よりも供給が少ないのですから、むしろ、価格が上昇する可能性も否定できません。毛沢東の大躍進の如く、国民の多くが、政府の無謀な計画によって、無残にも踏み倒されてゆくのです。

 多大な犠牲を想えば、”脱原発はできない”と考える方が正常なのではないかと思うのです。目的達成条件である犠牲の部分を隠した”できる!”は、詐欺師の手法と同じなのではないでしょうか。

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