時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

本当に必要な国民審査では?-中立・公平な司法の命綱

 本日の産経新聞の「中高生のための憲法講座」において、「本当は怖い国民審査」という題で、国民審査廃止論が掲載されておりました。果たして、国民審査は、廃止するべきなのでしょうか。
 
 廃止の理由としては、アメリカの制度との比較から、(1)アメリカのような裁判官公選制の伝統がないので、日本には馴染まない、(2)政治的な意図で悪用されると危ない、の二点が挙げられておりました。(1)につきましては、自国の歴史に前例がなくとも、日本国は、合理的であると認める諸外国の制度を、積極的に取り入れてきた歴史があります。”日本国の伝統に馴染まない”を理由としますと、普通選挙を含めて、現在の国家制度の殆どを廃止しなければならなくなります。非嫡出子の相続権問題では、最高裁判所は全会一致で違憲の判断を示しましたが、家族法の分野において、日本国民の常識的な家族観を一切無視したことにおいて、よほど最高裁判所の判事の方が、日本国の伝統に馴染んでおりません。また、(2)につきましても、最高裁判所の判事の任命は、日本国憲法の手続きとしては、長官は天皇任命であり、他の裁判官は内閣任命です。しかしながら、実際の人選過程については極めて不透明であり、不適格者が選ばれてしまう可能性も否定はできません。現実に、外国人地方参政権問題の判決で、後に”政治的配慮”があったことを認めた園部逸夫氏も最高裁判事を務めました。このことは、最高裁判所の判事が、必ずしも政治的に中立ではないことを示しています。審査権は、制度としては、人事権に対する制御権、即ち、安全装置として理解できますので、国民の審査権は、中立・公平な司法の命綱でもあります。何事においても、制御装置や安全装置が備わっていませんと、暴走が始まりるか、真っ逆さまに墜落してしまいます。
 
 このように考えますと、やはり、最高裁判所の裁判官に対する国民審査は、必要な制度なのではないでしょうか。
 
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