時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

瀬戸内寂聴氏の矛盾

 昨日、日本弁護士連合会は、死刑制度に関するシンポジウムを開催し、死刑廃止の実現を目指す旨を宣言しました。このシンポジウムに、作家であり、僧侶でもある瀬戸内寂聴氏が寄せたビデオ・メッセージが波紋を広げております。

 瀬戸内氏のビデオ・メッセージで問題視されたのは、”殺したがる馬鹿どもと戦って”という件です。絶対的平和主義者である氏は、しばしば、反戦運動の場でも、戦争を殺人と捉えてきました。氏のポリシーからしますと、この発言も、十分に予測される範囲なのですが、死刑を宣告される被告人こそが、”殺したがる馬鹿ども”であったことに気が付いていないようです。”戦って”という闘争の呼びかけにも自己矛盾があるのですが、死刑とは、通常、殺人を犯した者に課せられる罰であり、”殺したがる馬鹿ども”どころか、実際に”殺した馬鹿ども”、即ち、他者の命を奪った”殺人犯”です。特に、自らの利己的な目的のために、残虐な手段で殺人罪を犯した者に宣告され、近年では、死刑執行に際しては、冤罪の疑いなき者のみが選ばれています。”殺したがる馬鹿ども”よりさらに罪深い冷血、かつ、残忍な”殺人犯”と戦うことこそ、裁判に付し、死刑という命による償いを科すことに他ならないのです。

 世論調査によりますと、凡そ80%は、死刑制度の存続に賛成なそうですので、瀬戸内氏の目からしますと、国民の大半が、”殺したがる馬鹿ども”なのでしょう。死刑とは、究極の命の平等であり、かつ、命を奪われた被害者の正当防衛権の公権力による代理執行としても理解できますので、非論理的な制度でもありません。果たして仏様は、瀬戸内氏の言葉をどのように聞かれるのでしょうか…。

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